お役立ち

人を簡単に変えることはできない! 他人を変えようと消耗するのはやめよう!

ロングボード カラフル

昔、友人のご両親の結婚までのなれそめについてのエピソードを聞いたことがある。

若いころからかなり破天荒な性格だったお父さん、結婚する前お母さんは、この人にはついていけないと見切りをつけお別れすることにしたそうだ。

だがその時、お父さんの母親が、「息子を見捨てないでくれ」と泣きついてきたそうなのである。この母親はとてもいい人で、お母さんはそんな彼の母親が可哀想になり、最終的に「私が彼を変えてみせよう」と決意し結婚に至ったのであった。

しかしその結婚生活は波乱万丈であった。

近所でお父さんが暴れているから迎えにきてほしいとお母さんに連絡があり迎えにいくと
お父さんが木に鎖でグルグル巻きにされており動きを封じられていたという珍エピソードやら、出産のためお母さんが里帰りしている間に他の女性を自宅に連れ込んでいたという、全人類の女を敵に回す非難ごうごうエピソード・・

その他、もろもろお父さんの破天荒は結婚後もおさまることはなく、ついに友人が高校生になったとき、お父さんとお母さんは離婚することになったのであった。

その時、お母さんがしみじみ言っていた、「自分のことを変えたくても変えるのが難しいのに、他人を変えようなんて思っても絶対に無理」という言葉。今も深く私の心に刻まれている。

だがどんな人間でも大病をし、今までの人生を振り返る場面にくると、今までの自分を反省し改心し、清らかな心を持つようになることがある、という話をよく聞く。

うちの実家の父がそうであった。
長年、暴君として我が家に君臨していた父。定年を迎えるころ、健康診断で癌が見つかったのだった。

今までは自宅でテレビを見ていてもまわりの気分が悪くなるほどの勢いでテレビ画面に向かってああだこうだと悪態をつき続け、嫌いな芸能人がでてくると、聞いているだけで気分が悪くなるような罵詈雑言を吐きまくり・・・

やめなよ。と注意すれば「ここで悪口言っても本人に聞こえていないから言ってよし」だのなんだの、猛烈な屁理屈で論破しようとする。
ちょっとしたことで機嫌を悪くしガミガミと母に当たり散らす。

何か無くし物をすれば人のせいにして、色んな引き出しをひっくり返して大騒ぎ、
自分の管理が悪くて無くしたものを「どこへ隠した!?」などとわけのわからない言いがかり・・・

結局は探し物は自分のポケットに入っていて
それを正直に言うのが気まずいので、どこか別のところから見つけたように小細工をしてとなりの部屋から持ってきてみたり・・・
そしてその一部始終を娘に目撃されている詰めの甘さ・・

こうやって改めて書き出してみると、娘の私が言うのもなんだが、ちっさ!と感嘆するほどの器の小ささである。
器が「おちょこ」どころではない。彼の器はシルバニアファミリーのコーヒーカップほどの小ささだ。
シルバニアファミリー カップ
しかし病気が発覚すると、今までの自分を反省したのか、すっかり毒が抜けてまともな良い人間になったように見受けられた。
些細なことで怒ることもなくなり、まわりへの感謝なども口にし出した。

やはり人間は生死にかかわる病気をすると、冷静にいままでの自分を反省し改心する気持ちになるものなのか・・・。

その後、大手術を乗り越え、父の癌は幸いにもうまく退治することができた。
それは本当に喜ばしいことだったのだが・・・

あの大手術から数年後には父は今まで通りのワンマンライフに返り咲き、当時の反省などまるで幻の出来事だったかのようにブランクを感じさせない暴君ぶりを遺憾なく発揮している。

癌の手術から快方にむかいしばらくたったある日、母と行った銀行の窓口で順番待ちをしている時、後ろ姿がとてもきれいでスタイル抜群の女性が前方に立っていたことがあったそうだ。

女性の容姿がどうしても気になった父は、わざわざその女性の前まで行ってさりげなくお顔を確認するとそそくさと母の元へ戻ってきて、一言「ひでぇブス」とつぶやいたらしい。
とんでもないブラック翁(おきな)である。

あんな大病でも、乗り越えてしまえば父の改心もそこまでであり、驚愕のリセット力で本来の父の姿に戻っていった。

やはり人間は簡単には変われないものだ・・・
あの時の友人のお母さんの言葉をあらためて心から実感せざるを得ない。

身近なところでいうとうちの主人も10年ほどまえに、憩室炎という腸壁に袋状のへこみができてしまう病気にかかり、命の危険はないが、最悪に事態になれば人工肛門になる可能性もあると説明され、緊急に1週間ほど入院していたことがあった。

医師からはこの病気の治療に一番重要なのは腸に食物が入って行かないようにすることだと言われ、主人は入院中、絶食状態で点滴からの栄養のみでひたすらベットの上で大人しくしていなくてはいけないという入院生活を余儀なくされていた。

そして退院する日が近くなると、絶食状態から再び食事をとり始めることに徐々に体を慣らすため、重湯が用意された。

小さなカップに2種類の重湯が注がれており、塩味と梅味のほぼお湯に近いような重湯であった。

さっそく重湯を口にした主人は、「ウっ・・うめぇ・・・(涙)」と、1週間ぶりに味のあるものを口にできた感動と幸せで、これまでにないほど食べ物に対する感謝の気持ちが生まれ、わさび畑の澄み切った水のように清らかな心になり、うっすら涙目になっていた。

普段、私の作るご飯にもっとこうしろああしろと注文が多く、やれこれはこないだ食べたばっかりだ、やれこれは味が薄いだの濃いだのいつもと違うだの・・・

いつも食事に対する感謝の足りない主人が、お湯に近い薄味の重湯のありがたさに涙目になっている。

だがその主人も、食事のありがたさに心震えていたのはせいぜい5日間ほどであった。あの時のそんな気持ちなど、今や忘却の彼方といったところだ。

どんなに変わるきっかけがあっても、それがたとえ生死にかかわるような出来事であっても、大概の人間は簡単には変われないものなのである。

大病をきっかけに生まれ変わった、という人が少数いるのも確かだが、そういう人はそもそも最初から《変われる見込みのあった人》なのだ。変わる見込みのない人は、何があろうと変わらない。

自分が他人を変えるなんてことはほぼ不可能であり、これほど虚しく心が消耗し疲れることなんてない。他人を変えられる、変えてみせるなんて思っているならそんな馬鹿な考えは本当に早く捨てたほうが良い。

ただ、本気で臨めば自分自身を変化させることはできる、ということは最近感じ始めているので、これについてはまた別の機会に書いてみようと思う。

私はこれからも他人の変化に期待などせず、自分自身が自ら思い描く人間になることだけを考えて、そこに向かって努力していこう。

身近な数々の【悪い例】の教訓から、私は日々そんなふうに考えている。

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冨岡さわこ
冨岡さわこ
こんにちわ!湘南に住む、占い師でエッセイストの冨岡さわこです。(✿✪‿✪。)ノ すれすれの人生、避けて通れないならネタにしよう! わたしを悩ませるあんなこともこんなことも、こんなことも。 現在、中学生と小学生の二人の娘を持つ母です♪ 過敏性腸症候群IBSのおかげで、人生に無駄なピンチが多めに降臨。