エッセイ

母からの教えという名の「呪縛」に取り押さえられる

誰しも子供のころ、親から何度も教えられた“大切なこと”というものがあると思う。

思い起こせば、食事中にくちゃくちゃと音を出しちゃいけないよ、とか
机に肘をついちゃいけないよ、などという日本人としての基本的な作法の面もそうであるが

「人の悪口を言うと、必ず自分に返ってくるんだよ
「人様に迷惑をかけることをしちゃいけないよ」など
生きていく上で大切なことを親御さんから繰り返し聞かされてきた人も多いはずだ。

私自身にも、はっきりと今思い起こせない部分も含め、親から繰り返し聞かされ、
私という人格を形成する一部となった教えがたくさんあったはずだ。

親から教えられた数多くの教えの中で、アラフォーになった今も私の脳に深く刻み込まれている教訓は
“食べ物を粗末にしてはいけない”
“寝る時に腹を冷やしてはいけないから暑くても必ずお腹にだけ布団をかけなさい”
の二つである。

一見、ものすごくまともな「親からの教え」だが、これが現在の私にとって、
かなり変化球な影響がでてしまっていることが否めないのだ。

“食べ物を粗末にしてはいけない”

私の母は、いつも食べ物を捨てちゃいけないと言い続け、その自分の宣言通り、家族が消費しきれなかった残った夕ご飯などを絶対捨てることをせず、せっせと自分の胃袋に収納していた。

おかげで物心がついたころから母は常にポッチャリ体型をキープしており、私は“お母さんというものは太っているのが普通”だと思って生活していた。

今思えば、お友達のお母さんはスリムな人もたくさんいたのだが、子供というものは常々自分の親を基準に物事を考えがちなものである。

私が小学生のころ巷ではビックリマンチョコが大流行し、おまけのシールだけ集めてお菓子を捨ててしまうという事件が頻発しており、学校でもそのことは問題視され、先生から「お菓子を捨てるのはやめましょう」と話があったりした。

幼少期から“食べ物を粗末にしてはいけない”と言われ続けられていた私は、お菓子捨てるヤツなんているのか?!と半信半疑であったが、実際、下校途中の用水路に大量のビックリマンチョコが捨てられているのを目にした時は、自分の中での常識ではあり得ない光景に、カミナリに打たれたような衝撃を感じたことを覚えている。

そんな私だが、自分が親になる年代に差し掛かると、なぜ母はいつも太っていたのかという事実を嫌でも理解するようになっきた。

母は子供を産んだから太っているのではなく、いつも家族の食べきれなかった食事を捨てずにせっせと口に運んでいるから太っていたのである。

実際、女性は妊娠で体重が増加してしまうことが多く、それは女性の体の仕組みとして仕方がないことなのだが、それ以降、産後何年たってもずっとストイックにその体型をキープしていたのは、明らかに食べすぎという理由ありきだったのである。

大人になり、美容にも気を付けて生活するようになった私は、頭ではその原理を理解できているにもかかわらず、つい多く作ってしまい余らせてしまった料理などを、どうしてもすんなり処分することができないという体質に仕上がってしまったのだ。

母から幼少時より刷り込まれてきた“食べ物を粗末にしてはいけない”という教えは、
まさに呪いに近い形で私の行動をコントロールしにかかり、
“ぜったいにもう誰も食べない余った料理”を捨てようとする私の腕をグッ!!と掴んで制止してくるのである。

捨てられない・・・
家族からも不評で誰もお代わりするわけがない上に、無駄にカロリーの高いこの余り物の料理・・・

捨てるか。
捨てる以外か。

脳内にローランドが現れ2択の問いを投げかけてきたところで、私は慌ててローランドを振り払う。

だがあの時の母のように“食べ物を捨てない”という信念に従い、その都度自分の胃袋に余った料理を詰め込んでいては、母の“永遠の妊婦体型”の二の舞になるだけだ。

捨てられない・・・
でも食べられない・・・

そう思うと私は、ついあまった料理にサランラップをかけていったん冷蔵庫に入れてしまうのだ。これで一時的にはローランドから逃れることができる。

翌日、気になってお皿のサランラップをそっと剥がして様子を見てみるが、再び2択を迫られると慌ててラップをまた元に戻してしまう。

そして捨てる決心がつかないままそのお皿の存在自体から意識が薄れていき、うっかり数日から1週間が経過したころ、「なんだこれ」などとうっかりサランラップを剥がした主人の絶叫が鳴り響くことになるのである。

原宿のわたあめを彷彿とさせる、ふんわりとした白とブルーの『映える(ばえる)』カビにビッシリと覆われ、一体何の食べ物かわからない状態まで変化したところを見届けてはじめて、私は母の呪縛から解放され、心置きなくそれを処分することができるのである。

捨てるしかない。
もう捨てるしかないんだ。

ここまでくればもうローランドに追われることもない。

確かに、食べ物を捨てるのはいけないことだ。
食品ロスの問題などいたるところで話題になっている昨今、余らせることなく食材を使い切る努力をすることがもちろん大切なことだ。

だがどうしても食べない余りものを、捨てる決心がつく状態になるまで放置し、映える(ばえる)カビを栽培することが正しいかというと・・・甚だ疑問である。

捨てられないのであれば、ゼッタイ余らせないという道を極めれば一番いいのだろうが、到底そのような主婦力も無い。

日ごろから食事を余らせない努力はもちろんしているが、それでも時に余らせてしまった料理を、母からの刷り込みによって、必要以上に“処分できない呪縛”にかかっていることは紛れもない真実なのである。

“寝る時に腹を冷やしてはいけないから暑くても必ずお腹にだけ布団をかけなさい”

これは本当に小さい時から何度も言われてきたと記憶している。
暑くて汗がダラダラしているようなときのお昼寝でも、必ず“お腹を冷やしちゃだめ”と言われバスタオルなどをお腹に乗せられていた。

「暑いからそんなのいらないのに・・・」そう思ってどかしても、何度もお腹にバスタオルをかけなおされていた私は、いつしか【お腹になんかのっけてないと寝付けない】という厄介な体質に成長していった。

それはアラフォーになった今でも変わらず、ちょっとソファーに横になる時などにも何かをお腹に乗せていなければ落ち着かないのだ。

本当にかけるものが何もない時は、誰かの脱いだTシャツなどでもいいので、とりあえずお腹に乗せるようにしている。別にTシャツなど暖かくもなんともないが、ただひたすら「腹の上に何らかの重み」が無いと落ち着かないのである。

そして肝心な、「幼少期から寝る時に腹を冷やさなかったことの効果」であるが、私は20年ほど前から過敏性腸症候群(IBS)を患っており、人類で最も腹の弱い部族にカテゴライズされるという何とも皮肉なゴールを迎えている。

母の教えを守って生きてきた結果、私はただ寝る時に腹の上に何らかの重みを欲するだけの、超絶腹の弱い面倒な女でしかないのである。

こうして幼少期から母が私に一生懸命に伝えた二大理念、
“食べ物を粗末にしてはいけない”
“寝る時に腹を冷やしてはいけないから暑くても必ずお腹にだけ布団をかけなさい”
は、私という人間の形成において完全に不発に終わったのであった。

現在、9歳と7歳の娘を持つ私は、娘たちの将来を案じ、あの時一生懸命に言っていた母の気持ちも理解できるようになった。

私も日々あれやこれやと娘たちに口うるさく大切なことを教えようと奮闘しているが私の教えが将来、子供たちにどのような影響として現れるのか・・・これは全く子供次第である。

将来、「ママの言ってることは役に立たなかった」などと言われたなら、それはそれで立派に自分の意見をもって成長してくれた証なのだろう。

そう思って楽しみに見守っていこうと思う。

ABOUT ME
富岡紗和子
神奈川県湘南在住、占い師(帝王命術売占い鑑定師・四柱推命鑑定師)ラジオパーソナリティ・エッセイ作家・法人役員(役員暦24年)の富岡紗和子です。 現在、二人の娘を持つ母でありサーフィンとビールをこよなく愛するアラフィフ女子です♪ ⇒ ⇒ 詳しいプロフィールはこちら

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