気が付いたらもう4月だ。
毎年の4月といったら入学や進級、新社会人、はたまた幼稚園デビュー、保育園デビュー、学校デビュー、そしてのデビューした子のママさん達など、新しい環境に飛び込む人たちがたくさんいる月だ。
自分が新しい環境に飛び込んでやっていけるのか?
新しい場所で出会う色々な人たちと、うまくやっていけるのか?
そんなふうに不安でドキドキしてしまうことも多いと思う。
今はコロナウィルスを封じ込めるため、外出の自粛をしなくてはいけないときだが
コロナウィルスが終息したころ、新しい環境の生活が始まる方もたくさんいるだろう。
人は新しい人間関係や出会いの中で、時に他人とどのような接し方をするのが最善なのかわからなくなることがある。
特に女性同士の噂話ネットワークなどで他人の悪い噂を先に吹き込まれてしまった時など、一瞬、その人とその後どう接したらいいのか迷うことがあるかもしれない。
そんな時、私は
【私に対して親切な人は、他人に嫌なヤツといわれてたとしても良い人。みんなに良い人と言われていても、私が嫌なヤツだと思ったら嫌なヤツ】
と自分軸に従って考えるようにしている。
こう思うようになってから、私はおかしな噂に振り回されずに自分自身の冷静な判断ができるようになってきたように思う。
私が、最初にそれを感じたのは20代前半のころ、駅前のお店で働いていたころのある出来事だった。
その当時、駅のロータリーにとんでもない大声で歌を歌いながら出現する60代くらいの非常に個性的なおばさんがおり、その界隈で話題をさらっていた。
おばさんの歌のバリエーションは様々あったのだが、中でもGLAYが特にお気に入りだったらしく、よくGLAYのHOWEVERを大熱唱しながら現れるため
“GLAYおばさん”と呼ばれていた。
どこからともなく、
♪たっえーまなく!!そっそぐ あっいっの 名を〜〜〜〜〜〜!!!!!!♪と絶叫に近い熱唱をしながら、なぜかいつも大荷物を背負って現れる“GLAYおばさん”。
薄暗くなってきた夕方に姿を表すことが多かった“GLAYおばさん”の歌声が遠くから聞こえてくると、おなじお店で働くみんなは『出た出た!』と珍獣に遭遇したような盛り上がりを見せ、軽く変人扱いでバカにしていた。
私も“GLAYおばさん”が出没すると面白がってみんなと一緒に笑っていた。
しかしある日現れた“GLAYおばさん”はなぜか歌を封印し、店の前で大声でなにか絶叫し始めたのだ。
驚いて聞いてみると、“GLAYおばさん”は私のことを大音量でめちゃくちゃに褒めまくっていた。
もちろん私は“GLAYおばさん”話をしたことがなかったのだが、たまたま店の前に立っていた私を“GLAYおばさん”は何度も見かけていたらしく、その日、お店の前で恥ずかしくなるほど大声で私のことを褒め続け、最後にまた全力でGLAYを歌いながら夜の街に消えて行った。
同僚は爆笑していたが、私はカミナリに打たれたように後悔していた。
私、別に“GLAYおばさん”に何にもされてないのにみんなと一緒にバカにしてたんだな・・・
“GLAYおばさん”・・・
めっちゃいい人じゃん・・・(涙)!!!
そしてふと、その話とは真逆の、学生時代にすごく人気のあった可愛い女の子のことを思い出した。
その子は顔もかわいくてスタイルも良く、いつも明るくお笑い系で、男女ともその女の子をチヤホヤしていてクラスの中心的な目立つ存在だった。
私もこの子のことをかわいいな。とは思っていたのだが、その反面なにかちょっと冷酷な部分があるなとも薄々感じていた。いつもみんなに囲まれている彼女を横目に見ながら、みんなはそうは感じないのかな・・・私だけがそんなふうに思っているのかな・・などとも考えていたが特に口に出す事もしなかった。
だがある日、当時の某有名人が大病を患ったことを告白する会見を開いた翌日に、その彼女が学校でその会見のモノマネをして笑いをとっている姿に心底ドン引きしたのであった。
取り巻きのみんなの中には、他人とはいえ余命宣告されたことを告白した会見のモノマネをして笑い取ろうとするような人間なんて『いやだな』、と感じる人はいなかったのだろうか。みな楽しそうに一緒に笑っていた。
それとも、心無いモノマネに内心引いていたけど、クラスの中心の人気者である彼女に異論をぶつけて、仲間から外されるのが怖かったのだろうか。
とにかく私はその時ハッキリ、『この子、無理』と強く感じたのを覚えている。
大人になった今でも新しい環境で色々な人たちと出会うことも多いし、子供が出来れば保護者同士の関わりもでき、今まで接点の無かった人達と交流しなければいけないシーンも増える。
するとやはり、まわりにはチヤホヤされているけど、私にとっては“めちゃくちゃ嫌なヤツだな”と感じる人も実際いるし、変なヤツよばわりされてるけど別に何の害もないよな・・・という人もいるのである。
そんな今までの考察から、私はいつも人間関係においては、
【私に対して親切な人は、他人に嫌なヤツといわれてたとしても良い人。みんなに良い人と言われていても、私が嫌なヤツだと思ったら嫌なヤツ】
という自分軸に従うようになった。
そして同時に、私に他人の悪口を聞かせる人はどこかで私の悪口を言っているという事実も、もはや私の中では常識である。
私は、誰かの悪口じゃなくて誰かの前向きな話を持ってきてくれる友人にこれからもたくさん出会いたいし、自分自身も、『座布団と幸せを運ぶ山田くん』のように、楽しい話と前向きな話題を運ぶ人になりたい。
コロナウィルスで外出を自粛している四月、私は家の中でそんなことを考えている。
新しい環境で身の回りの状況が激変したり、色んな出会いの中で新しく人間関係を築いていかなければならず不安を感じるとき、少し自分軸について思い出して参考にしてみていただけたら嬉しい。